【アメリカと日本茶】その3

1.日本茶業はペリーによって始まった。

ウ、宇治製法
次に、お茶の製法の進化についてお話します。
アメリカに輸出されるようになったお茶は「宇治製煎茶」でした。1738年に永谷宗円によって創製された「宇治製煎茶」の特徴は、第1に茶の新芽だけを使うということです。
と云うことは、それまでの煎じ茶は新芽も古葉も一緒に製造していたということです。第2は新芽の殺青を蒸気で行うことです。それまでは碾茶製造以外では、釜で炒るか熱湯につける殺青が主でした。第3は焙炉の上で手で揉むということです。それまでは冷や揉み(ひやもみ)床揉み(とこもみ)筵もみ(むしろもみ)揉み板で揉むなど焙炉の外で揉んで、天日や焙炉で乾燥していました。永谷宗円の「宇治製」はそれまでの煎じ茶とは比べ物にならない高品質なものだったわけですが、すぐに全国に広まったのではなく、全国の煎じ茶が「宇治製」に統一されて行ったのは、最後はアメリカのおかげです。アメリカが「宇治製」を買ってくれたからです。その代りに、全国各地にあった色々な番茶や煎じ茶は、だんだん姿を消すことになってしまいます。宗円が宇治製煎茶を創製した焙炉は、約100年後の1830年代の玉露製創製の時と同じく碾茶焙炉でした。現在のような木枠の底に和紙を張った木枠助炭は無く、焙炉紙=紙助炭でした。焙炉紙の下は、渡し竹と竹網代の為に、茶葉を助炭面に強く押しつけて揉捻することができません。露切り(葉ぶるい)と揉み切りで揉んだものと思われます。全国に広まっていった宇治製法は揉み切り製法でした。