【アメリカと日本茶】その7

1.日本茶業はペリーによって始まった。

キ、手揉製茶から機械製茶へその1
現在日本で生産されているお茶はほとんど全て機械製ですが、安政6年(1859年)の横浜開港以降海外へ輸出されたお茶はすべて手揉製でした。

製茶はどのように機械化されていったのでしょうか?日本で制作された最初の機械は、多田元吉がインドより持ち帰った揉捻機をマネて明治15年(1882年)に制作した紅茶用揉捻機です。日本で開発された緑茶製造機械は、埼玉県の高林謙三が明治18年に特許第2号、第3号、第4号をとった製茶機械を嚆矢とします。

機械製茶が実用化されるようになったのは、明治31年(1898年)に特許3301号を得た高林謙三の高林式粗揉機でした。高林に続いて、静岡の望月、臼井、八木、原崎、鈴木等々が精揉機、粗揉機、揉捻機、中揉機、熱風火炉等の製茶機械を発明します。しかし、すぐに全ての手揉製茶が機械製茶に変わったのではありません。
手揉製茶が機械製茶に変わるのに京都では30年以上かかっています。京都府の統計を見ますと、明治41年(1908年)の京都ではまだ全て手揉製茶です。
8年後の大正5年(1916年)は、手揉製67%、全機械製(ゼンキと云いました)3%、残りの30%は半機械製(ハンキと云いました)でした。半機(ハンキ)とは粗揉機を使用して下揉みを行い、その後の工程を手揉みで仕上げる製茶方法です。
25年後の昭和8年(1933年)でも、手揉製7%、全機製45%、半機製48%と半分以上の製茶が手揉みを行っていました。