1.日本茶業はペリーによって始まった。
サ、日本茶が真直ぐな理由とアメリカその3
永谷宗円が創始した宇治製煎茶は真直ぐではありませんでした。それは永谷宗円の使用した焙炉が碾茶焙炉と同じく助炭が紙助炭であった為に、空中で揉む揉切しか出来なかった事に依ります。
嘉永6年(1853年)にペリーが来航し、安政6年(1859年)に横浜が開港して茶貿易が始まり大量の輸出茶が必要になってくると、空中で揉む揉切だけでは間に合わなくなってきました。そこで考案されたのが木枠に和紙を張り付けた木枠助炭です。
木枠助炭が開発されても木枠助炭の下に渡す渡し棒が竹の棒と竹の網代の時代はあまり力を込めて揉むことは出来ませんでした。
その後、強く力を入れて揉むために鉄製の渡し棒である鉄橋(鉄弓)と鉄の網代が開発されます。鉄製の渡し棒が初めて文献に登場するのは天保年間(1831年~1845年)ですが、その使用が一般的になるのは明治10年代(1877年~)です。
宇治より宇治製法と木枠助炭と鉄弓、鉄網代の伝わった伊勢、静岡では宇治製法を基礎として、輸出向きの手揉製茶法を生み出していきました。
令和2年1月