【アメリカと日本茶】その13

みなさん、お久しぶりです。世界中がコロナで苦しめられているる令和2年です。平成29年トランプ大統領が就任したした時に、「アメリカと日本茶」という題名で4回連載しました。内容は「ア、ペリー以前の日本茶業」「イ、泰平の眠りを覚ます蒸気船(上喜撰)、たった四杯で夜も寝られず。」「ウ、宇治製法」「エ、揉切り法(もみきりほう)と転繰り法(でんぐりほう)」でした。2回目平成30年の連載の内容は「オ、アメリカでの日本緑茶」、「カ、日本茶貿易の実態」、「キ、手揉製茶から機械製茶へその1」「ク、手揉製茶から機械製茶へその2」でした。3回目令和元年の連載の内容は「ケ、日本茶が真直ぐな理由とアメリカ」でした。今回は「宇治製法と宇治茶」について書かせていただきます。


ス、「宇治製法と宇治茶その1」
第12回で紹介した明治18年(1885年)の「中央茶業組合本部報告」によれば、日本各地の製茶の形状はバラバラで一定していなかったのが分かります。明治18年当時、宇治の製茶は揉切だけの本来の宇治製法(揉切製法)で、形は丸撚れでした。

明治27年(1894年)の「日出新聞」には、「改良茶の審査…京都府茶業組合取締所にては一か所に金二十円づつ補助して愛宕、乙訓、久世、紀伊、宇治、綴喜、相楽、北桑田、何鹿の九郡に緑茶改良試験所を設けたるを以て、一昨日より昨日にかけ紀伊郡伏見の元山城製茶会社に於いて、上坂清左衛門、築山甚兵衛、田中七左衛門の三氏を審査委員として其の製品を審査したる上、見本として製茶輸出を業とせる商館へ送付せしが、山城茶は風味においては他に冠たるも、兎角形状一定せず、静岡地方の製品却って好評なるを以て、同試験場においては此の形状の改良を主とする筈なりと。」という記事が載っています。

明治27年(1894年)当時の山城茶(宇治茶)は「風味は日本一だが、とかく形状が一定していなで曲がっている。」と書かれ、「茶は見るものでは無く、飲む物です。」と云う茶の本筋を行くものであったことが分かります。
しかし、その後に「静岡地方の製品却って好評なるを以て、同試験場においては此の形状の改良を主とする筈なりと。」と、風味が悪くて(苦渋くて)形状の真直ぐな静岡茶が輸出に於て好評であるから、宇治茶も形状の改良を主として研究すると云う事が書かれています。形状は真直ぐではないが「風味(香味)本位」であった宇治茶を「形状本位」の宇治茶に改良(改悪)しようとする萌芽は明治27年頃に生まれたと云うことが出来ます。

令和2年11月