【アメリカと日本茶】その16

タ、「宇治製法と宇治茶その4」
「茶業界」第9巻第9号(大正3年、1914年)「宇治玉露の製法及焙手(職工)の奨励」牧の原茶業部 川崎正一には「松尾氏(松北園)は専ら玉露及碾茶を製造する方針。玉露の製法は一焙炉の生葉投入量八百匁を普通とし、一焙炉の時間三時間(上製は四時間)内外にして、一日五焙炉(上製は四焙炉)の仕上を普通とす。製法につきて実地観察したるに、葉打は長時間行えば色沢を損するとの理由によりて短時間に行う方針を採る。下揉に於いて「ころがし」は其の手使い極めて迅速に行い、一分間に七、八十回左右に手運びをなす。又揉切に於いて多くの職工は茶を四手位に拾い集め葉振りしつつ揉切るもの多く、転繰(でんぐり)は只手休めに行うに過ぎず。玉露にありては特に終りの葉揃揉に力を入れるものにして、肘付揉(ひじつきもみ)又は手合せ揉(てあわせもみ)と称え、形状付けに最も必要なる操作なり。仕上は板擦(いたこすり)(又は助炭の縁にて擦り)を行う。板擦りは十数年前(明治30年代)より行う処にして、上等品程多く之を行いて形状を付するも、中等品以下は形状を作らぬ方針なり。松尾氏は玉露製の焙炉六十二個有り。」と書かれています。

この文により、宇治で板擦りが行われ始めたのは、大正3年(1914年)の十数年前、即ち明治30年代であることが判明します。
下揉みは「ころがし」=回転揉みを行っています。宇治で転繰(でんぐり)行われていることを示す最初の文章だと思いますが、「只手休めに行う。」と余り重要視されていません。肘付揉(ひじつきもみ)又は手合せ揉(てあわせもみ)、板擦(いたこすり)(又は助炭の縁にて擦り)は形状付けに必要な操作として上等品程多く之を行いて形状を付けることになっています。宇治茶も「形状本位」に傾き始めていることが分かりますが、中等品以下は形状を作らぬ方針と本来の「風味本位」も行われています。

令和3年2月