(115)「揉捻機禁止の是非」「茶業界」第22巻第4号(昭和2年、1927年)
近時製茶品質改善の声が高くなり品質の低下は硬葉摘に依る事が多い処から、硬葉摘にするのは揉捻機があって是を揉み得る事も其大なる原因であるから品質保全の上から言えば揉捻機の使用を断然禁止した方が良いとの論があった。
(116)「揉捻機の使命とその応用問題」農林省茶業試験場 宮原正雄「茶業界」第22巻第5号
(昭和2年、1927年)
揉捻機応用の使命は原則として粗揉の不足を補うと云うよりも、揉乾の調和を期する目的を重視すべきである。
(108)「山城茶業者の自覚奮闘を望む」宮地鉄治「京都茶業」第9巻第1号
(昭和2年、1927年)
宮地鉄治は、山城茶は香気と味の調和が最大の特徴であると言っています。製茶は形状、色沢、水色に重きを置けば、香気、味は犠牲になります。香気、味に重きを置けば、形状、色沢、水色は犠牲になります。山城茶は香気、味に重きを置く製茶でなければならないと言っています。
(117)「製茶品質に関連せる三つの問題 農林省茶業試験場 前田源吉」「京都茶業」第9巻4号
(昭和2年、1927年)
前田源吉は茶の品質に関する謎(問題)を三つ挙げている。一つは茶の形状を真直ぐに伸ばして製茶しているが、そんな必要があるのか?二つめは、露西亜向製茶は米国向製茶とは反対に曲げることに苦心しているが、そんな必要があるのか?三つめは、玉露の色沢を良くする為に、味をおろそかにする傾向は良いことか?田源吉は謎だと云いながら、最後に「而して茶の真の価値は主として香味に存する事は、更めて論ずる迄もない。」と結論を述べています。茶は真直ぐに伸ばして製茶する必要はありません。
(118)「緑茶の形状に就て」主筆 瀧恭三「茶業界」第22巻第8号(昭和2年、1927年)
「日本茶が形状を整えることにのみ囚われて、内容の充実を疎かにしたのではあるまい乎。」「形状に重きを置くのは日本茶のみであると共に、日本茶は何故形状に重きを置くか、将又是が日本茶の行くべき本道であるかを考えてみたい。」「品質の精良を以て名声を有した手揉時代の茶は決して今日の如くに形状に重きを置かなかった。」「日本茶のみが斯く真直ぐな形状の整斉にのみ力を注ぐことが果たして発展の道であろう乎。」「形状を造る為に生産費の増加を招き、而も一方に於て品質を低下せしむることは、決して賢い方法では無い。」「飲んで美味な味、快い香を備えていることはより多く必要なことである。」
(119)「美味い茶をモットーとせよ」茶業組合中央会議所 宮地鐵治「茶業界」第23巻第1号
(昭和3年、1928年)
我国の製茶は形状色沢水色に重きを置くに過ぎ、之が為には殆ど香味を犠牲に供して憚らざるに至った。これは根本的誤りと云わなければならない。」②「今一つ需要を増加する上に於いて大いに注意すべきは、製茶専門家の所謂優良茶と需要者の所謂『美味しい茶』と必ずしも一致せぬ事である。製茶の需要増加を図る場合に於いて、香味に関する需要者の嗜好状態(真の需要者の嗜好であって、茶商人の嗜好ではない)を一層よく調査研究し、二者の一致を図ることは極めて肝要であると信ずる。
(120)「永谷翁の功績を偲ぶ」原崎原作茶業研究所の記念式にて「京都茶業」第10巻2号
(昭和3年、1928年)
原崎原作は「揉切宇治製法の製茶が真の緑茶の風味である」と言っています。「永谷翁の製法に適う機械を発明することが御恩に報いることである。」と云っています。
(121)「偶感」桑原治郎右衛門「狭山時報」第3巻第4号(昭和3年、1928年)
桑原治郎右衛門も本質を見抜いています。人間が働くと云う事は直接か間接か有形か無形か、多少儲かることでなければなりません。儲けのない産業などは如何に奨励しても、到底発達するものではありませぬ。どの産業も利益に走ります。お茶も儲かったから発達しました。内容本位のお茶よりも、一寸見た所の良い、形と鮮やかな色をしているお茶が足が早い。世の中の仕事は良し悪しを余りに考えず、兎角流行の流れに陥り易い。
(122)「玉露の機械製茶法に添う」田邊貢「京都茶業」第10巻3号(昭和3年、1928年)
京都府茶業研究所は、手揉み茶に劣らない良質山城宇治茶を機械製茶によって製造することを必須の研究課題として設立されました。府下の機械製茶の品質改善に対しては各郡茶業組合及聯合会議所と共に不良機械の駆逐に努めています。
(123)「優良製茶機械の普及を提唱す」「京都茶業」11巻2号(昭和4年、1929年)
昭和4年当時京都府の製茶のうち、手揉製が20%、半機製が33%、全機製が45%です。昭和4年当時京都府の製茶機械台数は2904台で、粗揉機が1885台(65%)、精揉機が539台(19%)、蒸機が179台(6%)、中揉機が95台(3%)、揉捻機が77台(3%)でした。京都府は不良製茶機械を撤廃して優良製茶機械の普及を図ります。
(124)「京都茶は香気が生命」 京都府茶業組合聯合会議所 新会頭 渡邊辰三郎「京都茶業」第11巻3号
(昭和4年、1929年)
近時製茶機械が普及の結果は、生産費の節減に於いては非常に効を奏したが、製茶の品質に於いて殊に山城茶に最も特有とする香気の点に劣る事はないか。余は現に多数の茶を取り扱って其杞憂を深くするものである。若しも山城茶殊に煎茶に香気の特徴を失したならば最早その生命はないものと覚悟しなければならぬ。之計りが山城宇治茶の特長であり、之ばかりが宇治茶の生命である。此の生命である香気を阻害するが如き機械があったならば、此の香気を失う如き製茶法であったならば断々個々として排撃しなければならぬ。本府茶業の生命の為には泣いて馬謖を斬る程の覚悟はもたねばならぬ。若し機械が悪い為山城茶の香気を害するというのであれば、之れら不良の機械を絶滅せしむるためには、如何なる犠牲をも払わねばならぬ。渡辺辰三郎は宇治茶は香気が生命だと言っています。
(125)「製茶機械統制計画」「京都茶業」12巻3号(昭和5年、1930年)
京都府製茶の品質低下の原因は不良製茶機械が多いからです。製茶機械の統制により不良製茶機械を駆逐したが、等級別乙程度の製茶機械も放置することはできないので、製茶機械の改造を実行します。京都はものすごいことをやりました。製茶機械統制=不良製茶機械の駆逐です。
(126)「京都府製茶機械統制一件」(昭和5年、1930年)
京都府下、2600台の製茶機械のうち900台の不良機械を廃棄売却し統制式機械に買い換えを命じる。
(127)「輸出向特種茶製造法」「茶業試験場彙報第4号」(昭和6年、1931年)
グリ茶=ヨンコン製は露西亜向緑茶として開発された。
(128)「グリ茶需要増加を図れ」主筆 瀧恭三「茶業界」第26巻第1号
(昭和6年、1931年)
今から約90年も前に茶業界主筆の瀧恭三はグリ茶の優位性を論じています。グリ茶は製造の為に品質を害することが少ない。静岡茶は最近十年位は形状を整える為に著しく生産費を増し、品質低下を忍んで来た。グリ茶と同じ形状の紅茶が相当に入って来ているのであるし、飲用して見ればすぐに判断することであるから、是に変換せしむることは、今考えるほど困難ではあるまいと思われる。しかし、「今迄の伸びた形に馴れた嗜好」を変えることは現在に於ても実現できていません。
(129)「輸出向特種茶の品質を向上し需要を喚起せよ(二)」農林省茶業試験場技師 出村要三郎「茶業界」第26巻第2号
(昭和6年、1931年)
米国向輸出茶及び内地向茶が今尚形状に囚われる傾向にあるは遺憾である。
(130)「茶業界無二の要人を亡いて(故鈴木孫太郎君の死を悼む)」繁田武平「茶業界」第26巻第2号(昭和6年、1931年)
私は「茶業界」誌を読むまで鈴木孫太郎を知りませんでした。静岡県の茶業雑誌「茶業の友」誌と「茶業界」誌をほぼ全て、現存する約500冊を読みました。多くの筆者が数多くの論文、文章を書いていますが、その中で一番分かりやすく的確に茶そのものと手揉技術と機械製茶と茶業界の進むべき道を書き続けているのは鈴木孫太郎です。しかし、静岡茶業史、日本茶業史を読んでも鈴木孫太郎は一切出てきません。不思議です。日本茶業界は鈴木孫太郎に学ぶべきです。