精揉機の魅力(6-1)

1月号は「永谷宗円」「青製」「木枠助炭」、2月号は「手揉手法の進展」、3月号は「全国各地の製茶」、4月号は「茶業統計」、5月号は「米国における日本茶」「明治時代の製茶機械の発展」について調べました。6月号は「精揉機が普及した時代」「大正10年の式名別機械台数」「大正時代の製茶機械の進展その1」を調べます。


「10」「精揉機が普及した時代」
次に精揉機が静岡県に於て何時ごろ普及したのかを調べます。
静岡県に於て、精揉機は1910年からの10年間で急激に普及しました。主に大正時代です。


表1は静岡県に於ける機械製茶の進捗状況です。
手揉製茶は一挙に全機械製茶に移行したのではなく、半機械製製茶の時代が30年以上続きます。半機械製製茶は、手揉製茶に於て一番重労働である中揚げ迄の工程を粗揉機で行い、その後は手揉製茶で仕上げると云う製茶で、明治40年以降に急激に普及しました。手揉み製の製茶比率は粗揉機普及比率に反比例しています。また、全機械製の比率は精揉機普及比率に正比例しています。
明治43年(1910年)は、手揉製茶約50%、半機約50%で粗揉機が約半分普及したことを示しています。しかし、全機械製は1%で精揉機はほとんど普及していなかったのが分かります。その10年後の大正9年(1920年)では、手揉製茶が13%と激減し、全機械製が62%と1910年から1920年の10年間で精揉機が61%も普及したのが分かります。
1920年(大正9年)における粗揉機の普及率は87%に達しています。表1で分かるように静岡県に於ては、1910年代の10年間に急激に精揉機が普及したことが分かります。
その大きな原因の一つは第1次世界大戦にあります。


「11」静岡県で全機械製が6割を超えた「大正10年(1921年)の式名別機械台数」

 

表2は手揉製茶が一割少しとなり、全機械製茶と半機械製茶が八割以上になった大正10年(1921年)の 静岡県の式名別機械台数です。
粗揉機が50種類、17222台であるのに対して、揉捻機、再乾機、精揉機が4000台以下と少なく、半機械製が残っているのが分かります。一番機種の少ない精揉機でも24機種もあります。如何に製茶機械の製造会社が多かった事が分かります。
精揉機のシェアは多い順に、栗田式(22%)、臼井式(21%)、高林式(18%)、八木式(15%)、橋本式(10%)で、この五機種で全体の約86%です。この内、栗田式、高林式大手、第2臼井式、橋本式は大手揉(おおてもみ)と称されて揉室が大きく、八木式、第1臼井、高林五手は小手揉(こてもみ)と云われて揉室が小さい。大手揉は揉操釜が深く且つ大きく、スプリングを以て加圧して硬葉でも捻れた茶が出来ます。小手揉の方は釜が小型で、太めのどっしりした茶が出来るところから、京都方面の茶に適するとされ、後に八木式は京都府統制型精揉機として採用されました。

 


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