1、茶況
7月13日、碾茶2番茶の第11回目の入札販売会がありました。
一番茶の碾茶は平均価格が昨年度比130%以上の高値でしたが、碾茶2番茶の平均価格は第1回目から第11回目まで全て平均価格が2400円台です。
こんな現象は初めての経験ですが、この原因の第1は天候です。
2茶碾茶の始まった6月中ごろから約3週間、曇りか雨ばかりで日照がほとんどありません。
茶園に覆いをしても、日照がなくては葉緑素は増加してくれません。
天候の影響で品質が良くない割には、価格はしっかりしていると思います。今周以降、天気が続いてくれることを祈ります。
2、茶トンビとサイトリ
茶生産家の荒茶を茶問屋に斡旋する職業がありました。
宇治では「茶トンビ」「トンビ」と呼ばれ、静岡では「サイトリ」と呼ばれます。
宇治では「京都茶市場」が出来て以降、「茶トンビ」は姿を消しましたが、静岡では現在も「サイトリ」の力は大きく、静岡産荒茶の流通の約50%は「サイトリ」が握っていると云われます。
「トンビ」の語源は何でしょう?
斡旋人は茶農家の荒茶見本を預かり、茶問屋に持って行きます。
値段交渉がまとまり売買が成立すると、茶農家と茶問屋の双方から斡旋手数料(歩一、ブイチ)を頂きます。
100万円の売買が成立すると2万円の手数料が入るわけです。
元手をかけないで、おいしい物(手数料)を頂くので、「トンビに油揚げ」に掛けて「トンビ」「茶トンビ」と言われました。
明治から戦前の「茶トンビ」は綴喜郡多賀村周辺と相楽郡上狛村周辺に集まっていました。
どちらも茶産地からの街道が木津川にぶつかる地点で、木津川には港がありました。
「サイトリ」の語源は何でしょう?
私が若いころに聞いた話では、「サヤ」(利鞘、リザヤ)を「トル」ので、「サヤトリ」が転じて「サイトリ」になったという説が有力と聞きました。
以下は私の推測説です。
江戸時代、宇治の御茶師と茶生産家の間で、碾茶を斡旋する職業がありました。
「素人」と書いて「スアイ」と読みます。
茶生産家の荒茶を御茶師に斡旋するだけではなしに、金融の仕事もしていたようです。
この「スアイ」「スアイトリ」が宇治製法とともに静岡に渡り、「サイトリ」に転じて現在にいたっているというのが私の推測です。
でも、本当かどうかは分かりません。茶用語の語源も調べると面白いものですね。
執筆:2015年8月