精揉機の魅力(3-3)

橋山倉吉…倉開流転繰揉み(デングリモミ)の創始者


明治2年(1869年)榛原郡川崎町生れ。明治13年(1880年)より製茶業に従事(11歳)。倉開流デングリを創始。明治18年(1885年)榛原、小笠、周智、磐田、志太の5郡で手揉製茶伝習会を開催(16歳)。伝習生1200余名。精揉機に繋がる手揉手法である転繰揉み(デングリモミ)の創始者。


大林雄也…手揉み38年式製法の提唱者


慶応2年(1866年)浜名郡浜松生れ。明治20年(1887年)東京農林学校農学本科卒業。明治29年(1896年)農務局製茶試験所(西ヶ原)主任技師。明治35年(1902年)より静岡県の茶の栽培、製造を指導。明治38年(1905年)輸出向改良模範茶製造法として明治38年式製法を提唱(39歳)。


高林式粗揉機(特許3301号)(明治41年11月25日、1908年)

「茶業之友」第21号(明治41年11月25日、1908年)に掲載された「高林式粗揉機」(特許3301号)の広告です。この高林式粗揉機の広告が、現在私が知っている明治40年代の一番古い製茶機械の広告です。直接火焔吹込み式で、片吹込と両吹込があります。手廻し、両吹込み、1貫五百目入、78円です。製造販売元は遠州堀之内村の松下工場です。この高林式粗揉機(特許3301号)が製茶器械の実用機第1号です。


望月式軽便製茶揉捻機(明治42年、1909年)

「茶業之友」誌(明治42年、1909年)に掲載された「望月式軽便製茶揉捻機」の広告です。揉捻機の発明者は望月発太郎です。明治29年(1896年)に特許2771号を取得しています。望月式葉打機と望月式揉捻機の特許権は橋本馬吉に譲渡され、橋本工場が製造販売を行いました。手廻し揉手一個付が70円です。揉捻機最初の広告です。望月式揉捻機は独特な構造をしています。日本の揉捻機はその後ジャクソン型が多く用いられるようになり、日本の製造現場から望月式揉捻機はだんだん姿を消して行きますが、烏龍茶を多く製造する台湾で望月式揉捻機は活躍することになります。


八木式製茶機械(明治42年、1909年)

 

「茶業之友」(明治42年、1909年)に掲載された特許8134号、八木多作発明の「八木式製茶機械」の広告です。八木多作は志太郡六合村の人で、明治20年頃から製茶器の開発を志し、明治37年(1904年)に「茶葉揉燃器」で特許8134号を取得しましたが、明治38年に42歳の若さで亡くなっています。製造販売所は榛原郡勝間田村の東遠工場で、2貫匁入が90円になっています。


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