9、吉浜大作の煎茶合組理論 その2

「最近都内における茶業者の多くが質を忘れ、外見本位に移行した。その結果その香味に差なく、上下を通じ同一の味と変更した。ここにおいて包装販売が開始されるに至った。これは当然の結果である。専門店の販売品は、その格差を判別せねば売り上げの向上はない。上中下を通じ、同一の味である以上、高きを望まず安きに移行するは消費者の動きである。ゆえに包装販売へ客を追う結果であると思う。専門店として考慮すべき時代である。そのために茶の販売に専念する大手小売り店主は、生産地に要望するに完成煎茶を要求し、これを販売し、売り上げの増加を見るに至っている。これは当然の結果であるが、大部分の小売店はこれを実行せず、依然形状本位の茶を販売せんとしている。茶は飲むものである事を第1条件にしてもらいたい。……事ここに至らしめた最大なる原因に、全国茶品評会出品茶の審査法による事も極めて大きい。」昭和45年頃から、都内茶業者が外見本位に移行したと書かれています。
また、包装販売茶が売れ始めた時期です。昭和45年の茶の品種化率は約30%で昭和55年には約60%に達します。それ迄35キロ機、50キロ機であった製茶機械がだんだん大型化され、昭和40年代には100キロ機、120キロ機が出現します。この品種化と製茶機械大型化により、特徴のある各産地の多様な茶が、全国一律に画一的な同一の茶に変化しました。
吉浜大作は「茶は飲むものである事を第1条件に」とAWARDの理念と同じことを叫んでいます。また、「この最大の原因は全国茶品評会の審査法にある」ことを見抜いています。今から50年以上前の事です。

「この複雑多岐にわたる茶を一定の規格に統一した場合、茶の持つ特殊性を失い、単純なる飲料茶に化し、大企業者の手に移る可能性がかくなりたる場合、如何に伝統ある歴史を固執するとも大勢に勝ち得ない。しからば茶専門店として生きる道はどこにあるか、不可能を可能にすべき道は無いとは言えない。茶は生産地毎に特有の個性がある。この個性を生かすか否にある。この個性を生かし得るか否によって運命は決せられる。これを実行する事が至上命令である。これを実行に移すには、その販売地の環境と居住者層を調査し、如何なる味の茶が適するか否かを調査し、生産地を決定することが先決問題である。その適品を選定する場合、四地域が必要である。一の場所は香気を求め、二の場所は甘味を求め、三の場所は濃度を求め、四の場所は清浄なる淡白性の茶を求む。この特色ある生産地を選定し、春夏秋冬の季節を考慮に入れ、調合を行なえば個性ある規格品を年間通じて販売することが出来る。これを実行する場合、年次毎に変更してはならない。永続的に販売すれば必ず販売高の増加を来たし、経営上有利である事に確信を持つべきである。……一番困難なことは、淡白性の茶を同一地区で一年分入手する事である。」
吉浜大作は煎茶の合組に必要な茶は、「香気」「甘味」「濃度」「淡白性」の茶だと云っています。
そして、この特色ある生産地を選定し、春夏秋冬の季節を考慮し合組すると云っています。

私がこれまで読んだ本や論文の中で、唯一合組について書かれた文章です。大先輩、ありがとうございます。最後に「この複雑多岐にわたる茶を一定の規格に統一した場合、茶の持つ特殊性を失い、単純なる飲料茶に化し、大企業者の手に移る可能性が生ずる。これが実現した場合、茶の専門店の姿が消えうせる時である事を覚悟せねばならない。」と吉浜大作が50年前に警鐘を鳴らしたことが、令和の今、現実になろうとしています。茶業界の皆様、今一度目を覚まし考えましょう。

桑原秀樹


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